今日は12月4日から10日間の予定で日本へ旅行に来た朴さんと再会しました。朴さんとは2007年に国際リハビリテーション学会が韓国で行われ、参加した時に初めてお会いしました。今年79歳になられました。
人なつっこい顔ですが、戦前まだ韓国が日本の植民地だった頃に日本語教育を受け、流暢な日本語を話しながら、厳しく日本の戦争責任を追及する言葉は強烈です。二硫化炭素中毒患者の災害補償をもとに、職業病と一般医療の需要に対応するためつくられた韓国にあるグリーン病院の理事長でもあります。この時は、朴さんの運転する自動車に乗って移動しましたが、とんでもないスピードを出す運転で、同乗者はみな震え上がっていました。
2008年には私の所属する京都民医連で、若手の職員が平和問題を主体的に学んでもらう「平和塾」を企画し、私はその塾長でした。卒業旅行的な意味合いで韓国を訪問し、独立記念館、西大門刑務所跡、ナヌムの家を訪れました。韓国で日本がどのようなことをしてきたのか、韓国では日本についてどのように教育されているのか、被害にあった人たちがどのような生活をしているのか、若い職員は真剣に学んでいました。本で読んだり講演を聞いたりするのとは違い、現場を訪れるわけですから、強烈な印象をもった企画でした。
グリーン病院も訪問し、職員と交流しました。朴理事長の通訳や、英語のできる医師とは英語で、さらに片言のハングル(朝鮮語)でやりとりをしたのですが、若い職員同士は言葉が通じなくてもコミュニケーションはしっかりとって、楽しく過ごしたようです。
この朴さん、タバコ好きなのが玉(たま)に瑕(きず)。「タバコがなかったらこんなに長生きしていない」と堂々と言います。「戦後まだハングルでの出版物が充分でなかったので、高校生時代にドストエフスキーのカラマーゾフの兄弟を日本語で読んだ。あれは哲学書だ。・・・」など初めて聞く話もあり、楽しく過ごしました。
朴さんが日本語を学んだのは不幸な歴史のせいですが、流暢な日本語を聞きながらあらためて語学は若いうちだと思いました。私はNHKラジオ講座でハングルを2年間勉強してみましたが、今ではほとんど残っていません。でもこの言葉は極めて理論的につくられたものなので、ちょっと落ち着いたら、もう一度勉強し直してみようかな、と思いました。
人なつっこい顔ですが、戦前まだ韓国が日本の植民地だった頃に日本語教育を受け、流暢な日本語を話しながら、厳しく日本の戦争責任を追及する言葉は強烈です。二硫化炭素中毒患者の災害補償をもとに、職業病と一般医療の需要に対応するためつくられた韓国にあるグリーン病院の理事長でもあります。この時は、朴さんの運転する自動車に乗って移動しましたが、とんでもないスピードを出す運転で、同乗者はみな震え上がっていました。
2008年には私の所属する京都民医連で、若手の職員が平和問題を主体的に学んでもらう「平和塾」を企画し、私はその塾長でした。卒業旅行的な意味合いで韓国を訪問し、独立記念館、西大門刑務所跡、ナヌムの家を訪れました。韓国で日本がどのようなことをしてきたのか、韓国では日本についてどのように教育されているのか、被害にあった人たちがどのような生活をしているのか、若い職員は真剣に学んでいました。本で読んだり講演を聞いたりするのとは違い、現場を訪れるわけですから、強烈な印象をもった企画でした。
グリーン病院も訪問し、職員と交流しました。朴理事長の通訳や、英語のできる医師とは英語で、さらに片言のハングル(朝鮮語)でやりとりをしたのですが、若い職員同士は言葉が通じなくてもコミュニケーションはしっかりとって、楽しく過ごしたようです。
この朴さん、タバコ好きなのが玉(たま)に瑕(きず)。「タバコがなかったらこんなに長生きしていない」と堂々と言います。「戦後まだハングルでの出版物が充分でなかったので、高校生時代にドストエフスキーのカラマーゾフの兄弟を日本語で読んだ。あれは哲学書だ。・・・」など初めて聞く話もあり、楽しく過ごしました。
朴さんが日本語を学んだのは不幸な歴史のせいですが、流暢な日本語を聞きながらあらためて語学は若いうちだと思いました。私はNHKラジオ講座でハングルを2年間勉強してみましたが、今ではほとんど残っていません。でもこの言葉は極めて理論的につくられたものなので、ちょっと落ち着いたら、もう一度勉強し直してみようかな、と思いました。








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