2011年2月アーカイブ

2011年2月27日

院長日記

医療コンフリクト・マネジメントセミナーへ行ってきました

225日~27日、日本医療機能評価機構が行う「医療コンフリクト・マネジメントセミナー(導入・基礎連続版)」へ行ってきました。日曜日の夕方まで3日間、会場の大阪まで通い缶詰になり、講義、ロールプレイ(演習)の繰り返しでした。

「コンフリクト・マネジメント」って何? と思われるでしょう。単純に訳すと「争いごとの対処」。医療者と患者・家族の間で生じるトラブルを解決することです。それを医療メディエーションという手法を使って行うのです。

じゃあ「メディエーション」って何? となります。日本医療メディエーター協会によれば、「メディエーターが、当事者間の対話を促進することを通して、認知の変容を促し、納得のいく創造的な合意と関係再構築を支援するしくみ」とあります。メディエーターは「患者側と医療側の対話の橋渡しをする人」で、「あくまでも、当事者自身による自主的な合意形成を促進する役割で、「調停」のように「調停案」を提示したり、説得や評価をしたりしません。英米では、広く普及している、当事者のための対話と協調促進のモデル」とあります。

メディエーターは病院や診療所の職員です。職員が第三者になれるの? 当然の疑問です。だから研修が必要なのです。しかし3日間徹底的に講義と演習を繰り返し、なれるのだということを頭では理解できました。しかし実際にやろうとすると大変です。すぐに解決策を提案しようとしたり、医療者側に立っている自分に気がつくのです。日頃意識して実践し、「継続編」「応用編」「トレーナー」などのさらに高いレベルのセミナーへ参加することもあるわけです。

もっとも院長である私は、実際の場面ではメディエーターになりえません。何かトラブルが生じたときには病院側の人間として対応しなければならないからです。

ではなぜ私が参加したのか? トップの立場の者がメディエーションの重要性を理解しなければ、そこでメディエーションは根付かないからです。メディエーションは、単にトラブル処理のためにあるのではありません。導入したところでは、「日常診療での患者対応の質」「患者に向き合う姿勢」「医療安全の向上」「職員間のコミュニケーション」など、さまざまな効果があるようです。

全日本民医連もこの研修に取り組んでおり、私の所属する京都府医師会も取り組みを開始しました。愛媛県医師会では50床(ベッド)に1人のメディエーター養成を目指しているようです。

私の病院でも導入に向けてしっかり議論を開始したいと思います。

この3日間、この件で22ツイッター つぶやいていました。

2011年2月19日

医療

救命救急センターと丹後の医療を考える懇談会

「救命救急センターと丹後の医療を考える懇談会」本日与謝野町で行われました。私は、問題提起、助言が求められました。120人くらいが参加し活発な意見交換をしました。

京丹後市の吉田さゆみさんは、但馬救命救急センター(兵庫県豊岡市)のドクターヘリの出動件数の約22%が府内からであることを示し、「府北部に救命救急センターの設置は待ったなし。 声をあげ、運動したことで、京都府もセンターの検討を始めると府議会で表明した。実現へ運動を広めよう」と呼びかけました。

私はちょうど1年前にこの会場で話した、日本の医療の事実(少ない医師数・医療費にもかかわらずWHOによれば世界一と評価されている)、京都の医療の事実(府としては日本で最も人口あたり医師数が多いが、京都市・乙訓医療圏以外はすべて日本平均を下まわる)、北部医療の問題点(府立医大頼みで開店休業の府医療対策本部、医師数・勤務医減、与謝の海病院や舞鶴4病院の役割、医療圏・府県を超えた医療連携の欠如など)を前振りに話しました。

最も話したかったことは、地域医療は、行政、医療者、住民の共同作業でつくるものであり、当事者としての地域住民が重要であるということでした。

意見交換で、近隣の 病院への苦情をいっぱい聞きましたが、実はそれを変えていくのは住民の声。

準備の過程で調べた但馬救命救急センタードクターヘリの実践はすごいです。ブログを見ると、写真や動画が満載で、今やれることをやりながら、同時に宣伝をして若い医師を集めようとしています。この病院のこの部門は伸びる! そのことを確信させる内容です。

救命救急センター作りが今回の懇談会の重要なテーマ。丹後、舞鶴、福知山など北部では、医療を完結できない救命体制の問題を抱えています。運動の進め方は、それぞれの地域で起こっている救急体制の問題点を出し、救える命が救える体制を要求していくことが大切だと思います。

とは言え、救命救急センターをたくさん作れるわけではありません。それを補う仕組みが必要です。ドクターヘリ、ドクターカー、医療圏、府県を越えた連携は有効なはず。京都はそれが極めて不十分です。

人口当たり最も医師数の多い京都でできないことは、どこでもできません。京都府が国民健康保険一元化を言い出したわけですが、本気で保険料を統一するのなら、医療の地域格差もなくさないといけないはずです。

また、救急救急センター作りとともに、各病院で何ができ何ができないか情報公開を行い、診療所、介護事業所などを含めた連携を進めることが大切です。

あらためて、地域医療をつくるのは、行政、医療者、住民。特に当事者としての住民の果たす役割は大きいです。しかしそれを引き出すために行政は金を出し、医療者の力を結集させる政策能力を高めなければなりません。医療者と一緒になって、府内のあらゆる地域に必要な医療体制をつくることが、京都府には求められているのです。

ところで意見交換の中で、癌の放射線治療患者の話がでました。毎日通えと言われても、数10km離れた福知山までは大変。生活もかかっています。入院できないなら、病院近くに宿泊できる保障が有効かもしれません。住民要求と行政効率、医療者の見方をあわせると、解決策がきっと見えてくる、と思います。

また政治革新と医療の関係も質問が出ました。私は医療と政治は制度という点で密接に関係していると思いますが、日本医師会長と全日本民医連会長が「国民皆保険を守る」「社会保障を充実させる」など根幹に関わるところで一致しているわけなので、立場を超えて大いに一緒に運動を進めるべきではないかと答えました。

「病院と住民が率直に話し合いできるようにしたい」主催者のまとめの一部です。そんな動きがきっと地域医療をよくします。私個人としては病院内の仕事で大変な中でしたが、来てよかったと実感しました。

2011年2月16日

院長日記

病院の世紀を超えて

週刊医学界新聞に載った「病院の世紀を超えて」は、猪飼周平氏の「病院の世紀の理論」をベースにした対談ですが、大いに共感をしました。対談の相手は松田晋哉氏。医療界ではDPCDiagnosis Procedure Combination;診断群分類)の開発者として著名ですが、「利他的で社会民主主義的な社会が望ましい」とこの対談で述べているように、「社会民主主義者」を自称しています。一度講演を聞いたことがありますが、分かりやすく筋が通り同時に暖かみを感じさせる語り口は魅力的でした。

対談は、先進国で最も高齢化率が高くなった日本が世界のモデルになるには、地域をベースに健康不安のない成熟したコミュニティーの再構築が必要であることを見事に示しています。

以下、引用とコメント(→)です。


「あと10年もすれば,年間150万人が死亡する時代がやってくる」

「『診療所の延長線上としての在宅ケア』ではなく,「『入院医療の延長線上としての在宅ケア』を考えていかなければいけません」

→24時間365日の医療・介護体制が地域に必要です。


trustのある社会」を思い描き、「自己責任ではなく社会連帯論に基づいた社会であり、構成員はおのおのが社会システムの維持に対して責任を負うべき」

「障害は確率的に出てくるものですから,個人の責任に帰するのではなく,社会全体で支えていくのを本来の原則とすべき」

「人々から自発的なエネルギーを調達するためには,理念が示されることは決定的に重要である」

「昨今の高齢者医療制度改革をめぐる議論などは,理念がほとんど語られていない点に不満を感じます」

→めざす社会の理念が示されていないことに多くの国民の不満、政治不信があるのだと思います。自己責任論でなく社会連帯、参加ができるように、権利としての社会保障を機能させることが大切です。


「医療者の労働環境が大変に厳しいことは心底理解できるのですが,ただ,もう一歩先の話,つまり『どういう社会をつくりたいのか』を医療界から発信していくべき・・・それは結局まちづくり」

「高齢者のニーズは医療だけではありません。まちづくり,コミュニティの基本デザインがあって,そのなかに医療も介護も位置付けられるべき」

→医療・介護はまちづくりのためにあるのです。


「生活と医療は常に混在している」

「診療報酬・介護報酬の支払いに柔軟性が必要・・・病院の空いた病床で生活している人がいたって別にいい」

「社会的入院も,高齢者にとっては合理的な選択・・・彼らを地域に戻すのであれば,地域のなかに代替機能を持たせなければなりません。コミュニティでケアするという視点が必要」

→「社会的入院」には必然性があることを日々実感します。解決のためには追い出しの「北風政策」ではなく地域で安心して暮らせる保障、「太陽政策」が必要です。


「急性期病院と在宅は将来の存在理由が明確・・・自治体病院を含む先端性の低い病院群から老健・特養などの介護施設に至る中間領域の施設群に対しては積極的な位置付けが与えられていない。・・・その中間領域にある重層的なニーズをどう評価していくか。全体として機能しているものを,個々の要素に分けてしまうと評価ができなくなる」

「医療と生活の『混在』はあったほうがよい」

「病院と地域ケアセンター,高齢者向けの住居が複合施設になっていてもいいわけですよね。それはアジア的なまちづくりです。欧州は機能で分けて物事をつくっていきますが,国民性としてアジア的な混在のほうが向いているのかもしれません」

→是非そんな制度をつくりたいし、私の病院もそんな病院にしたいと思います。


「『コミュニティの中心として特に重要な場所は何か』という質問項目があります。結果は学校が1位で,興味深いのは福祉・医療関連施設が2位だった」

「病院や施設がもっと地域にひらかれることが大切」

学校、福祉・医療関連施設は若い人たちが学び、働く場でもあり、地域に開かれることはとても重要です。


「地域の『支える力』をどう養うかという基本設計も同時に考えていく必要があります。しかし,町内会の組織率なんて年々下がっていく一方で,『支える』基礎体力はどんどん落ちているわけです。ヘルスケア関連職がそこで果たすべき役割は大きい」

「血縁や地縁が薄れていくなか,社会の単位としては小さなグループが地域のなかに重層的にあるほうが望ましい・・・同じ関心を持つ人による集団活動――金子勇先生(北大教授)のいう「関心縁」がキーワードになってくる。高齢者の場合はまさに"健康"が関心縁」

→医療・介護事業所が、新しいコミュニティの核になることは必要ですが、そのためには そのためにはもう少し余裕がほしい、というのが実感です。そんな社会をつくってこそ世界のモデルになれるでしょう。


「病院の世紀の理論」も是非読んでみたいと思います。うず高く積まれた本は増える一方ですが・・・。

2011年2月 6日

院長日記

木津川マラソン

寒いのは苦手で、いつもは冬眠に入るこの時期、今年は思い切って今日の木津川マラソンに参加しました。さいわい暖かかったのですが、毛糸の手袋にゴム手袋をはめても、なお途中は冷たくなり温めながら走りました。

昨年1123日の福知山マラソン以来長い距離は走らず、3km弱のジョギング通勤だけでしたが、その成果を試す機会でもありました。「長い距離を走るためには長い距離を走る練習をすべし」、それが常識なのですが・・・。

予想通り15km過ぎくらいから足が重くなって、ズルズルとスピードが落ちてきましたが、なぜか20kmからまた足が軽くなり、スピードが上がってきました。30Kmくらいで、3時間半を切る計画が浮かんできました。

がしかし、33kmを過ぎた残り9kmでまた足が重くなり、その後は1km毎に予定より1分くらい遅い走りになり、結局は私の時計で3時間3835秒でした。

このコースはほとんどアップダウンがなく、寒いのが苦手でなければ自己ベストを出すのに最適のコースだと思います。福知山マラソンの最後の1km余りの上りがあれば、今回 40分を超えていたでしょう。

ということで、やはり「長い距離を走るためには長い距離を走る練習をすべし」、というのが教訓です。それとお腹がすいてくるとスピードが落ちることも分かりました。給水・捕食ポイントは結構あるのですが、もっと飴をたくさん持っていくべきだと思いました。

まあでも、残り数kmは肩が詰まり(乳酸がたまっている??)足が動かず、そんな状態でよく完走できたなと思います。自分で自分を褒めてあげよう。ちょっと甘い?

2011年2月 5日

医療

地域医療-再生への処方箋-を読む

城西大学経営学部マネジメント総合学科伊関友伸准教授の名著です。20091125日に初版が発行されているのですが、私はこの年末年始に読みました。第一章の「なぜ自治体病院の経営は崩壊するのか」に始まり、奈良県(第二章)、沖縄県(第三章)、夕張市(第四章)、兵庫県丹波市、千葉県山武地域(第五章)の状況から課題、教訓を導き出し、第六章「まちの病院(医療機関)」をなくさないために必要なこと、第七章自治体病院の「赤字」について考える、へ続きます。

なぜ自治体病院の経営は崩壊するのか? 「お役所病院」「お役所組織」の病理にあります。「医療や病院経営の専門家でない市長や行革・財政担当が権限(お金)を握っており、行政の論理で意思決定を行うという、自治体病院の運営の弱点」「県庁に病院のプロがいない」「病院に愛着もなく2~3年で異動してしまう職員」と容赦ありません。「総務省ガイドラインは病院財務の改善に関心が行き過ぎている」と国のあり方も批判し、必要な「ニーズ」ではなく欲望のままに「ウオンツ」を押しつける「地域住民」へも苦言を呈しています。

解決法については、「再生には教科書的な答えはない。現場での実践の中で、解決策を模索していく以外にはない」と明快です。「行政が机の上で絵を描き強制的に進めてもうまくいかない」「大事なのは『現場』」「現場で働く医療スタッフの同意、特に医師の積極的な賛同が必要」「現場の職員が本気になる必要がある」と現場の大切さが繰り返し出てきます。運動団体へも「現状維持を唱えて反対するだけでは・・・地方独立行政法人どころではなくなる可能性もある」と厳しい指摘をし、医療だけでなく、福祉、健康づくりを一緒に行う本当の意味での「地域包括ケア」の重要性を述べています。

「地域で医師を育てる以外にない、住民の協力、医師が働きたくなるような地域や病院をつくらなければ医師は勤務しない」、医師にとって来てよかったと思える環境づくり(勉強できる、達成感がある、報われる)は決定的に重要です。これは看護師をはじめとするコメディカル全体に当てはまるでしょう。すぐに診てもらえる利便性だけで夜中に病院へ行き医師を疲弊させる「コンビニ受診」をやめようと住民自らが運動をしてきた「県立柏原病院の小児科を守る会」の活動は高く評価されています。もちろん「病院自体が(大学に頼るのでなく)自前で医師を養成する」覚悟を持つことは大切なのですが、「住民が住民に対して働きかける」「地域の医療は地域の住民が守る」ことの重要性は繰り返し強調されています。

それでは行政の役割は何でしょうか? 財務の視点しかなく「選択と集中」だけを強調する「総務省ガイドライン」を批判し、「医療費全体の底上げ」「相当額の税金を医療に投じる覚悟」を求めています。

著者は、新しい「まちの病院(医療機関)」像を再定義し、医療だけでなく福祉や健康づくりとの連携を考え、効率的な質の高い、やりがいのある、住民を当事者とした病院(医療機関)としています。地域の実情に応じた「まちの病院(医療機関)」を、既存の施設の活用も含めてつくっていくのが行政にもとめられているのでしょう。そのために著者は、まずは「行政が医療スタッフに歩み寄る」こと、行政と医療者の「共通言語は『質の高い医療』」であり、首長のリーダーシップ、「医療政策担当課や自治体病院担当課の能力(専門性)を高める」必要性を述べ、住民に「当事者」としての覚悟を求めています。

何でも民間頼みでなく、「自己変革を行った自治体病院を含めた様々な経営主体が混ざって切磋琢磨することが適切」「民間病院と自治体病院などの公的病院が共存して競争していくことが結果として地域の医療の質を向上させる」という考えに私は共感します。

「健康づくり政策によって、国保医療費が軽減された結果、自治体病院の患者が減少して収益が減少しても、行政全体としても大きな問題はない」と著者のスタンスは明快です。「自治体病院のオーナーは最終的には住民」「その時必要なことは行政の情報公開」。

この本を読み、崩壊した医療を再生させていくために、医療者、地域住民、行政それぞれが共同しなければならないこと、医療者、地域住民の主体的な力が発揮できる環境づくりの重要性を感じました。それはまちづくり、民主主義の前進にほかなりません。あらためて、「一人ひとりの能力が最大限に発揮できる社会が最も効率的」という私の考えに間違いがないと確信をしました。

医療崩壊に苦しむ地域に住んでいる方々、運動団体の方々に是非読んでいただきたい本です。

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