3月21日〜27日、東北地方太平洋沖地震の支援へ行ってきました。宮城県にある坂総合病院は、民医連の病院であり、塩釜市、多賀城市の基幹病院であり災害拠点病院でもあります。全日本民医連から医師をはじめ看護師、薬剤師など3月25日時点で1,000人を超える支援を行っています。私もその1人として参加しました。
看護師3人、事務1人と一緒に車で13時間かけて現地へ到着。確保した寝床は本来デイケア室の平行棒の下。1週間分の食料と寝袋を携帯し、現地で役立つかもしれない使い捨てカイロ、ウエットティッシュを大量に持参しましたが、結果的には震災直後の急性期は脱し、亜急性期から生活期への移行期だと実感しました。
塩釜港は車が転倒しヘドロの臭いが鼻につき、東の七ヶ浜は壊滅的でしたが、少し高い土地に位置する坂総合病院は物理的にはほとんど被害はありませんでした。しかし地域住民、開業医、病院の被害は大きく、自家発電、地下水でライフラインが確保できている坂総合病院に患者が集中しました。一方で職員や家族も被災しており、混乱の中で診療していたわけで、まずはここへ民医連の支援を集中しました。
私は、初日の午前中避難所で診察、夕方から翌朝まで当直、次の日の午後また避難所というハードスケジュールでしたが、その後は避難所まわりが続き、地域の状況をつかむことができました。私は4日間同じ避難所(体育館)へ行きましたが、その状況は日々変わり、日中家の片付けに行く人も多く、時間帯によっている人が違います。総じて血圧は高くなっており、慣れないトイレで便秘になる方が多く、風邪、胃腸炎が散発していました。
避難所で気になったことがいくつかありました。1つは感染対策。換気が不十分で風邪がうつることです。水道が復旧していないため手洗いができず、ノロウイルスによると思われる胃腸炎が見られました。居室である体育館とトイレを土足でそのまま行き来していることもノロの原因の1つでした。責任者と相談し、換気回数を増やし、次善の策としてウエットティッシュでよく手を拭いてからアルコール手指消毒剤を使用するよう指導し、トイレ用のスリッパを配置してもらいました。
2つ目は、精神疾患や認知症の人たちです。慣れない生活にとまどい不安を訴える精神疾患を持つ患者が結構いました。普通に暮らしていた認知症の人がせん妄状態になり、戸惑う家族がいました。これから高齢化が進むため、今後同じことが起こればさらに問題になると感じました。精神疾患は佐賀県から「心のケアチーム」が来ており、助かりました。せん妄には、薬よりも日中の散歩など生活リズムをつけることを勧めました。
3つ目は、体の不自由な人たちです。普段は車いすでトイレ使用している人がおむつ対応になっている例がありました。体育館で車いすトイレから遠いところが居住スペースになっていることが問題のようなので、管理者にスペースの変更をお願いしました。スポーツトレーナーが同行した時は、エコノミークラス症候群予防のための体操をしてもらいました。非常に好評で多くの人が体を動かしておられました。理学療法士が同行した日は、脳梗塞後遺症患者などへ個別のリハビリを依頼したり、変形性膝関節症患者の大腿四頭筋訓練をしてもらいました。
要は、気分転換も兼ねた体操は有効であり、積極的に体を動かすことを奨励する、肢体不自由者に適切な生活アドバイスを行い可能なら個別訓練を行うことが大切です。
最後に医療機関へ行く手段の確保です。電車が復旧しておらず、ガソリン不足、津波による車の喪失などでかかりつけ医に行けない人がたくさんいました。
当初は医療相談だけだったのですが、支援チームの人数が増えるにつれて、やることを増やしました。足浴、爪切り、シャンプー、清拭、ビニール浴・・・。ほとんどの人が被災後入浴していないので、皮膚は荒れ、かぶれなどが目立ちました。特に赤ちゃんはおむつかぶれ、脂漏性湿疹が見られました。看護師、小児科医チームで生後2ヶ月の赤ちゃんの沐浴もしました。医療は確かに大切なのですが、すでに現地でもっと求められていたのは生活支援、普通の生活ができることでした。
看護師が清潔確保のために忙しくしている間、私たち医師は事務職員と一緒にトイレ掃除(消毒)を行い、感染予防に努めました。医学生は、シャボン玉で子どもたちと遊んで楽しませていました。地域の絆が強く、地域ぐるみで復旧活動に取り組むところもありましたが、倒れた重い家財道具の片付けが最も大切な支援活動である地域もあったわけです。われわれは、医療人である前に地域を支える住民であることが求められるわけです。
医療支援体制で阪神淡路大震災との違いは、災害拠点病院の創設、DMAT(災害派遣医療チーム)、JMAT(日本医師会災害医療チーム)、心のケアチームをはじめいろいろ整備がされたことです。しかし連携の仕方はこれからの課題だと感じました。災害直後のDMATはともかく、住民にとっては身近な医療機関からの援助を求めており、医療機関名や地区医師会、県医師会を名乗って、一人一人の被災者に声をかけながら困り事を聞く姿勢が必要だと思います。「坂病院から来ました」と声をかけたらみなさんホッとした表情になりました。時間帯も問題で、あるチームが入った後にも関わらず、30数件の相談を受けた日もありました。理想を言えば、医療者が避難所に泊まり込むことも必要なのでしょう。
民医連はこれまでは行ける者が支援に行き、人数にあわせて日替わりで支援体制を決めるというやり方でやってきましたが、これからは坂総合病院自身が必要な支援要請を行い、それに我々が応えるという体制になるようです。さらに同じ宮城県にある民医連の長町病院、松島医療生協など他の地域への支援も長期的に続けていきます。東北全体を視野に入れた支援活動を行っていきます。これまで主に院内の仕事に没頭せざるをえなかった現地の職員の頑張りに敬意を表しつつ、地域全体を視野に入れた復興にともに力を注ぎたいと思います。
私はこの1週間、入浴こそできませんでしたが、支援者への心のこもった食事があり、結構暖かい寝場所だったため熟睡できました。使い捨てカイロはそれほど必要でなかったようで、重い荷物を抱えて往復することになりました。
坂総合病院は災害拠点病院のため、被災直後から病院で医師会、薬剤師会、行政などが集まり対策会議を持ってきました。これからは保健所が避難所の医療体制のコントロールをしていくということです。ひるがえって京都で大災害が起きたら保健所は機能するでしょうか? 京都市を例にとると保健所は1つ。あとは医師がいなくてもいい保健センターです。このままでいいかどうかの議論が必要です。
医療の中心は京都の災害拠点病院や医師会が担うことになるでしょうが、地域包括支援センター、居宅介護支援事業所などの役割も重要になります。公(おおやけ)の役割を明確にしたうえで、本当の意味での地域包括ケアが求められると思います。
あわせて、就職難の時代、多くの人を被災地復旧の仕事へつなげないものか、とも思います。
ともあれ、いろいろと考えさせられた1週間でした。気がついたらこの1週間、80回もツイッターでつぶやいていました。興味のある方は、下記へアクセスしてみて下さい。
http://twitter.com/#!/yusukemonkyoto








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