2011年7月アーカイブ

2011年7月24日

院長日記

TOSCA

今日のちょっと遅い夕食は、ベジタリアンのレストランTOSCA。ひょんなことで知り合った方の娘さん達が始めた店で、今日はお披露目の日。私の病院から歩いて5分。京大農学部正門の東隣。まだベジガイドにも載っていないし、HPもない。


この一家は、福島県で井戸を掘り、農業を営み、自足自給の生活をしていた。5人の子供は自宅分娩。ベジタリアンで育ったとのこと。そこへ今回の震災。家族会議を開き数時間で福島県脱出を決めた。その後に福島第一原発が爆発した


「よく決断されましたね」と問うと、「まずは命ですよ」と明快な答えが返ってきた。今の時代、脱原発の考えの人たちが増えてきたとはいえ、「でも経済はどうなる?」という人もたくさんいる。それなのに、手塩にかけた生活基盤を捨てて、数時間で最小限のものを持って知人をたずねてきた判断力、行動力は並大抵のものではない。

私はベジタリアンではないが、有機野菜を中心に仕入れた材料で作られた料理はとてもおいしい。職員に紹介をするつもりだが、たまには抜け出して昼食を食べに来ようか?


Tel 075-721-7779

11:3015:30(ラストオーダー14:30

17:3022:00(ラストオーダー21:00

定休日は日、月曜日。


開店前からファンがいて、昼食の配達もしているとのこと。店の中に、お得意さんになった方から依頼されたポスター「京都が止めよう若狭の原発 peace parade舞鶴」が貼ってあった。こんな経験をしたら脱原発は当たり前のことだろうが、不特定多数の人を対象に、これから始める店に貼るのは勇気がいる(だろう)。しかしそんなことを感じさせない自然な雰囲気であった。

成功してほしいお店だ。

2011年7月18日

院長日記

なでしこ勝利ーブログとツイッター

常々、ブログ=公開日記、ツイッター=公開井戸端会議だと思っている。


なでしこジャパンの勝利が伝えられるや、ツイッター上は興奮のるつぼ、その後しばらくして「なでしこ優勝の裏側で」 「マイナー」スポーツの悲哀が語られ、一方で「スポーツ基金を仕分けした蓮舫がなでしこ優勝すごいと発言し大炎上 国民あんたに言われたくない』」とバッシングの嵐。


ブログでは、すでに7月初めには平均年収240万円の女子とでていた。また、すぐ興奮し一つになってしまう日本人への警告も。

 

つい反射的に書いてしまうのがツイッター、ブログは少し整理して、ということになるが、本来的にはツイッターは井戸端会議なので臨場感が大切。しばらくその場にいてやりとりができれば最高だ。でも私の場合は、帰宅時と起きがけに井戸端会議に参加することが多く、ちょっと遅れて参入し、旬を逃すことが多い。そんな人も多いのではないだろうか?

 

この間ツイッターに入れ込んでしまうことが多かったが、 少し距離を置いてブログを意識した方がいいのかもしれない。そんなことを考えさせる1日だった。

2011年7月18日

医療

「効率」について

効率的と非効率的。どっちを選ぶと問われたら、普通は効率的を選ぶだろう。しかし効率的とは何か?と正面から問われると、意外と答えにくいものだ。特に医療における効率は、その定義をはっきりさせないと結論が変わってくる。


「日本神経治療学会」の学会誌、今年のN.3「特集 脳卒中のトータルケア」に「急性期から回復期リハビリテーションへの連携」というタイトルで一文を載せた。「脳卒中リハビリテーション患者データバンク」「リハビリテーション患者データベース」に登録された患者データを分析し、医療連携の効率をみたものである。


主な結果は、以下の通り。

1)脳卒中について、急性期病院と回復期リハ病棟を持つ病院のそれぞれの取り組みで、早期に転院し早く濃厚なリハビリを受けることは可能。

2)熊本は地域ぐるみで1)に取り組んでおり、結果として総入院日数は短縮できている。

3)しかし回復期リハ病棟での費用削減効果は認められない。


3)の理由は難しくない。熊本では1日当たりのリハビリをたくさん行うので、それだけ費用がかかるのである。リハビリの世界では、1日当たりの日常生活動作の改善を重視する。これを効率の指標にすると、熊本の効率はいいことになる。しかし費用に注目するとそうはならないのだ。


だれでも、入院期間は短い方がいいと思うだろう。早く体の障がいを改善させて早く帰りたい。そのために「連携」を重視することに異論はない(話を単純にするために、帰りたくても介護条件が整わず帰れない人のことは、いったん脇へおく)。しかし、それは必ずしも費用が安くすむということではない。


最近は、効率的=費用の削減と短絡的に考える傾向があるが、そんな単純なものではない。医療や介護の目的は、あくまでもその人を中心に置いて考えたいと思う。結果として、費用が少なくてすめばそれにこしたことはないが、最近の「税と社会保障の一体改革」のように、くれぐれも費用削減が目的にならないようにしたいものである。

2011年7月18日

院長日記

映画「100,000年後の安全」

話題の映画「100,000年後の安全」を見た。フィンランドで建設されつつある「オンカロ」。放射性廃棄物の永久地層処分場。放射性廃棄物が無害化されるまでの10万年間保持されるように設計された、地下都市のような巨大システム。2100年には施設は封鎖され、二度と開けられることはない。しかし10万年後、そこに暮らす人々に、危険性を確実に警告できる方法はあるだろうか。確実に伝えるべき、いや伝えない方が安全?  そんな議論が延々と行われる、これは本当に映画だろうか? そんな気がしてくる。

10万年と言えば、ネアンデルタール人の時代らしい。2,0003,000年前のピラミッドについてさえ充分謎は解き明かされていないのに・・・。これ以上書くと、これから見る人に差しさわるので控えるが、原発に対する立場の如何に関わらず、安全な廃棄物の処理方法のない核の問題点がよく分かる。


何よりも、このフィンランドの地は、(私の記憶に間違いなければ)18億年は安定している所らしい。日本のような、火山や地震多発地帯は、そもそも処分場として考えられていない。


ウランは石油と同じく限りある資源であり、原発はあくまで一時的なエネルギー源のはず。エネルギーを浪費する生活は、このままでいいのだろうか? 原発をめぐってかわされてきている大切な議論に対する解答が、自然な形で浮かび上がる。


「原発にはこれ以上頼れないけれど、原発を止めて経済は大丈夫だろうか?」。多くの人が抱く考えだが、リアルに少し長い時間軸で見てみると答えは明らかだと思う。 地球の歴史とまでは言わないまでも、人類の歴史から見て現代のわれわれが生きているのはほんの一瞬。そのわれわれが人類そのものの生存を脅かしていいはずがない。


限りあるエネルギー資源から再生可能エネルギーへの道へ転換すること、生活のあり方を見直すこと。自然豊かな日本で、できないはずはないと信じる。

2011年7月 3日

院長日記

「教育の職業的意義」

ひょんなことから少し前に、「教育の職業的意義」本田由紀東大教授著を読みました。副題は「若者、学校、社会をつなぐ」。


本書は「あらかじめの反論」で始まります。

①教育に職業的意義は不必要だ

②職業的意義のある教育は不可能だ

③職業的意義のある教育は不自然だ

④職業的意義のある教育は危険だ

⑤職業的意義のある教育は無効だ

どれも一理あるように思えます。これらを一つ一つ論駁し、その後の章でも日本の産業構造と教育の歴史を踏まえ、非正規雇用、ワーキングプアが増えている現在、あらためて教育の職業的意義が重要であることを説いていきます。一方で「キャリア教育」のあいまいさを批判し、もっと具体的な職業教育の必要性を訴えています。また、高校専門学科卒業生の方が普通科卒業生より、職業的意義ある教育を受け、非正規労働が少ないという重要な指摘をしています。

 

では、如何にして職業的意義ある教育ができるか? 残念ながらこの点についてはページ数が少なく、まだまだ一般論の域をでないように見えます。しかし職業教育について、「適応」と「抵抗」の両面を取り上げているのは重要だと思います。一定の技能を身につけることと環境を変えていくことは両方とも必要というわけです。

 

私たち医療機関に勤める者は、事務系を除いて職業的意義のある教育を受けて就職してきます。事務系でも(と書くとちょっと失礼な表現になりますが)、最近は医療秘書科や社会福祉士、介護支援専門員になれる学科を卒業し、就職後こうした仕事に就くことが多くなってきています。しかし医療・介護など社会保障分野で働く人はどんどん増えてきてはいるものの、社会全体から見るとまだ少数です。

 

本を読みながら思い出したのは、2004年に訪問したデンマークの話です。中学から高校へ進学するのは約5割で、さらにストレートに大学まで行くのは約1割。多くの若者は仕事に就き、勉強したいと思ったらその時に学び直す、と言われました。高校や大学卒業後も12年間海外へ行ったり、いろいろと見聞を深めるのも当たり前のように行われていましたし、今でも変わっていないと思います。私の病院では、2年前にそんな高卒デンマークの若者を、付き合っている彼女と一緒に受け入れ懇談しました。

 

著者の本田由紀教授は最近のツイッターで、以下のようにつぶやいておられます。

社会や労働市場から排除される人々がますます増えていく中で誰にも居場所と出番を作るためには学力やら人間力やらで垂直的多様化序列化を進めていてはだめで個々人の何かしらできることを尊重する分野・専門性別の水平的多様化がどしても必要

 

時代は大きく変わってきています。私は急速に高齢化が進む日本では、医療や介護分野で働く人がもっと必要だと思います。同時に、農林漁業など人が生きていくために必要な分野で仕事をしていく人も増えてほしいと思います。こうしたことは職業教育で具体化することが必要です。一方で生活が成り立つ賃金や収入が保障されるようにしていくことは社会の責任です。そしてこの分野に進んだ若者が、自らの環境を変える「抵抗」する力をつけてほしいとも思います。

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