The Lancet(ランセット)は世界的な評価の高い医学雑誌。そのランセットが日本の医療特集を行った。
「日本が本年、国民皆保険達成から50周年を迎える機会に、その経験を国際社会に共有することを目的として出版。日本が短期間で長寿社会を実現した要因、皆 保険制度の長所と限界、高品質低コスト医療の実態、急速な高齢化に対応する介護保険制度導入による成果と課題、保健外交における日本の優位性と役割を主要 テーマとして科学的分析と検証を行い、国内外に向けて提言を行っている。『ランセット』ではこれまでに、メキシコ、中国、東南アジア、インド、南アフリカの特集号を組んでいるが、先進国単独で特集を組むのは日本が初めである。」
昨日、近畿高等看護学校の講義「国際看護」を行ったが、国際的視点から見た日本の医療の参考に読んでみた。
私が興味を持ったのは、以下の点。
日本の平均寿命が世界一になったのは、「衛生的な文化,高い教育水準,平等主義的な社会,そして,特に結核を撲滅するための公的保健医療制度・・・」
「塩分摂取量の低減を促進する公衆衛生活動および降圧剤による高血圧のプライマリ・ケアでの管理が,脳卒中死亡率の低下に大きな役割を果たした」
「虚血性心疾患および一部のがんの危険因子が元々低かったことから多大な恩恵を受けてきた」
懸念は、「他の先進国に比べてタバコ消費量が多いこと,肥満度指数が少しずつ上昇していること,自殺率が高く,また上昇していること」
「日本食は日本人の健康改善に本当に貢献しているのだろうか」明快な回答はない。
「医療の質の構造的側面およびプロセス面はアウトカムにとってさほど重要ではない」→「保健医療サービスの利用機会の拡充を図ることと,医療費の支払いによる世帯の貧困化を予防することの2点を,優先的政策目標とするべき」
「構造的側面およびプロセス面から評価すると医療の質は不十分なのに,なぜマクロ的健康指標や入院治療から評価した医療のアウトカムが良好であるのかという問いに対しては,個々の医師の高い職業倫理がその説明になりえる」
「公的介護保険制度が家族介護者の負担を軽減したことを示す実証的根拠は少なく,また,広く支持されているにもかかわらず,一般的にこの制度は不十分であると批判されつづけている」
「専門家団体と病院団体は,医療の質の改善に取り組んでいることを一般国民に示し,自らの取り組みを透明化する用意があることを示せば,より有利な立場で保健医療資源の増加を要求することができるだろう」
言い変えれば、衛生的な文化、高い教育水準による減塩政策の成功、民族的な有利さで平均寿命を高くできた。しかしタバコ消費量が多く、肥満度が上昇し,自殺率が高く今後は予断を許さない。
平等主義的な社会が有利に働いたが、格差の拡大により医療へのアクセスが困難になってきている。
日本の医療を支えているのは個々の医師の職業倫理。
今後さらに医療の透明化が必要。
これらは、健康の社会的決定要因(WHO)そのもの。
これらの概要を話しつつ下記の内容を話したが、どれだけ伝わっただろうか? 写真を多用して分かりやすくしたつもりだけれど・・・。
日本の医療の国際評価はトップ(WHO 2000)。
日本は先進国で最も医療にお金をかけていない(GDP比 8 %)。
日本の「実質患者負担割合」は先進国で最も高い(ヨーロッパでは窓口負担は無料が基本)。
「実質患者負担割合」=保険料負担のうち被保険者負担分+患者自己負担分+差額ベッド代
約20年間で、医療費のうち国と事業主負担は減り、家計と自治体負担は増えた。
日本の医師数は人口当たり先進国で最低レベル(1,000人当たり日本2.1人、OECD諸国3.1人)であり、その差はさらに開きつつある。
医師労働は労働基準法違反状態が常態化している(長時間労働)。
産婦人科医、小児科医は減少傾向にある。
特に若手医師の中でその傾向が強かったが、最近やや増加してきている。
産科施設、小児科のある病院が急減している。
急速に女性医師が増えているが、諸外国に比べるとまだ少ない。
20歳代の産婦人科医の2/3は女性である。
病院も含めて民間医療機関が多い(ヨーロッパでは病院は公立)。
2004年の新臨床研修制度開始以降、大学病院で研修を始める医師が激減した。
院長日記
無言館と安曇野ちひろ美術館
以下、映画の解説より。
長野県上田市、周りを山々に囲まれた田園地帯の丘の上に、ひっそりとたたずんでいる小さな美術館「無言館」。静まり返った「無言館」の扉を押すと、志を果たすことなく戦場に散った画学生たちの声が聞こえてきます。絵描きになりたいと願いながら、一枚の画布、一冊のスケッチ帖に「生命の証」をきざみこんで戦地に発った若者たち。・・・
この映画もたまたま夫婦で見に行ったのですが、その中で淡々と紹介される残された絵のエピソードを見て行ってみたくなり、日程調整をしかけたのですが・・・、ギリギリまで行けるかどうか分からず、家族みんなが参加できると分かったのが2日前。他の予定を入れておらず、出発直前に「安曇野ちひろ美術館もいいですよ」とツイッターで情報を頂き、計画に加えた次第です。
無言館の入り口を開けると、係の人は居らず、いきなり絵が展示されていました。あるのは絵(一部彫刻もあり)と解説と遺品だけ。2号館もあるが、すべての作品を合わせても数十枚。そのため消化不良にならず、すべての作品にしっかりと目を通すことが出来ました。結構たくさんの見学者がおり、また若い人が多いのはちょっと意外でした。映画「無言館」には現役美大生が協力・出演しており、それも関係しているのかもしれません。出口に職員がおり入場料を払い本や葉書などを買ったのですが、職員数を最小限にするために、出口にしか職員がいないのだと思います。運営には苦労をしているのでしょう。
すべての作品にしっかりと目を通すことが出来たのは家族みんなの感想で、夕食を食べながら印象を述べ合いました。
「帰ってきて続きを描きたいと、出征ギリギリまで絵を描き続けたのはつらかっただろう」
「パリへ留学したいという義弟に対し、家や山を売ってでも行かせてあげる、と言っていた」
「戦争中に描かれたとは思えない」
「おばあちゃんの絵が一番よかった」
「妻の裸婦像が何人かあった」
「手紙の字はみんな達筆」
「写真はみんな結構イケメン」
「お父さんへは男子の本懐と言ったが、母、姉へは生きて帰りたいって言っていた」
「戦死といっても多くは船が沈められた」
「銃の暴発で死んだ人は気の毒。でもその妻は、その後医師になって今も高知で現役の病院長」
「いい人がいなくて姉が代わりに、・・その人は今も独身」
「栄養失調で死ぬって・・・」
「結核はまだしも、脚気で死ぬのは・・・」
「日本画の小野氏の息子がいた」
「出身地、生年月日がわからないのに絵だけ残っているのはなんでだろう」
我が家では話題満載の無言館も、地元での認知度はまだまだのようです。泊まった美ヶ原温泉の宿にも知られていませんでした。
翌日訪れた安曇野ちひろ美術館は、広々としたスペース。職員数も多く、あらゆる観光ガイドに載せられている有名な美術館です。見慣れた淡い水彩画がたくさんあり、ちひろの年表などもじっくりと見直すことができました。他の童話画家の絵もたくさん展示されており、子供スペース、絵本スペースなど、小さな子供も一緒に訪れることのできるところです。
新たな発見は、60年代初めまではちひろが油絵を描いていたことです。見慣れているせいもあるでしょうが、水彩画の方が断然いいと思いました。
印象的な絵や文章はいっぱいありましたが、「わたしがちいさかったときに」のコーナーでの絵「焼け跡を見つめる少年」は切ないものでした。「(被爆し)遠い天国に行ってしまった父母のことはあきらめてしまいました。・・『誰でも大きくなれば、父母はいなくなるのであって、ただぼくのは、早く父母を失っただけである』とぼくはいつでも思っている」
いろいろな年代の方がいましたが、特に若い人たちがこうした絵を見て、どのような感想をもったのかを知りたいものです。
ちひろは1974年に亡くなり、死因は原発性肝癌。この頃にはB型肝炎は検査ができていたので、ちひろの死因はC型肝炎からの肝癌だったと考えられます。今ならインターフェロンなどで肝炎の治療ができ、癌を予防できたかもしれません。存命であれば、今の時代をどのように見、どう描くだろうかと思います。
無言館の戦没画学生も同じです。今なら若い人が結核で死ぬことはまずありません。脚気やマラリアなどの感染症も治療できます。そもそも戦争がなければ死ななくてよかった人たちです。
今回の旅行で、我が家は行き帰りの時間を含めていろいろな話ができました。無言館、安曇野ちひろ美術館(練馬のちひろ美術館も含め)とも、多くの人に訪れてほしいところです。
院長日記
陸前高田市の送り火の松
被災マツ、大文字使わず 「放射能不安」で一転(8/6京都新聞)
「東日本大震災の津波で倒れた岩手県陸前高田市の景勝地「高田松原」のマツを京都に運び、五山送り火の「大文字」に使う計画が中止になったことが5日、分かった。マツの放射能汚染を懸念する声が京都市などに寄せられたためで、8日に陸前高田市で燃やす方針という」
この記事は京都新聞だけでなく、朝日、産経、毎日、読売、さらに日経といった全国紙すべてに掲載されました。
一方、この報道がされた後、「それに対する京都市の大文字保存会の事務局を務める市文化財保護課に非難が殺到した」(8/8読売新聞)と報道されています。
元はといえば、国が放射能について正確な情報を流さなかったから生じた混乱。しかし読売新聞の通り、大文字保存会の事務局は市文化財保護課なのですから、8月16日の送り火当日に松の木を燃やせたはずです。市は放射能リテラシーを高める絶好の機会を逃した、と思いますが、みなさんはどうお考えでしょうか?
院長日記
左京地域連携懇談会(認知症研究会)
昨日は第13回地域連携懇談会、第7回左京医師会認知症研究会でした。テーマは「左京における認知症連携」。2010年2月13日にも書いたように、元々は医師・介護懇談会だったのを発展させ、参加者も拡大し、半年毎のこの集まりも最近は200名以上の参加となっています。
今回はたまたま1年半前と同じ認知症を扱っていますが、「左京区の認知症かかりつけ医リスト」が配られ、まだ配布はされていませんが初期の鑑別診断やBPSD発症時の対処を行える「認知症支援医」(国の言うサポート医に相当する)も登録してきています。
担当理事の市田哲郎医師から、取り組みの現状が話された後、「左京における認知症連携について」パネルディスカッションが行われました。地域包括支援センターからは、医師に対し地域から見える活動やスムーズに入院できる体制への要望など、認知症の人と家族の会からは、医療に関する電話相談内容(待ち時間、いい医師の探し方など)、区役所からは「高齢者にやさしい店」の紹介、介護支援専門員会からは、「認知症疾患医療センター」設置へ向けての課題について話されました。
その後、多職種で小グループに分かれて、認知症についてのグループ討論が行われました。私のところでは、認知症対応に苦慮しているデイサービス事業所の現状、家族に認知症だと分かってもらえない大変さ、介護認定が実態に合っていない現状など、日頃の悩みが次々に出され、解決に向けての交流をしました。他のグループでは「左京で統一した認知症評価シートをつくってはどうか?」などの提案も出されていました。医師会へ持ち帰って検討する課題もいくつか出されました。
左京区は「認知症安心サポーター」が5,874人おり、京都市内で人口当たり最も多いとのことです。また地区医師会や多職種でこうした草の根の取り組みが行われており、高齢化の進行とともに今後爆発的に増える認知症への準備も進んできています。
京都府では、今年の10月からは「認知症疾患医療センター」が本格的に動き出すようです。しかし昨日も強調されていましたが、認知症対応はセンターができれば解決する問題ではありません。これまで以上に医療・介護レベルの向上や連携強化が求められます。
私の病院は神経内科医3人、精神科医2人と比較的認知症対応がしやすい医師体制がありますが、BPSD対応ができる精神科病棟はありません。入院では、むしろ認知症を持つ患者の身体疾患治療を求められることが多いです。それぞれの診療所や病院の取り組みがオープンにされ、地域における役割が医療・介護従事者だけでなく、地域住民にも分かるようになることが必要でしょう。
多職種型のこうした懇談会はレベルアップへの動機付け、地域における役割を参加者に強く意識させます。少しアルコールの入った懇親会の場での情報交換も有意義で、普段診ている患者について介護支援専門員や訪問看護師から相談を受けることもよくあります。これからも「顔の見える関係」をしっかりつくり、地域全体のレベルアップ、連携強化に努めたいものです。
院長日記
TOSCA
今日のちょっと遅い夕食は、ベジタリアンのレストランTOSCA。ひょんなことで知り合った方の娘さん達が始めた店で、今日はお披露目の日。私の病院から歩いて5分。京大農学部正門の東隣。まだベジガイドにも載っていないし、HPもない。
この一家は、福島県で井戸を掘り、農業を営み、自足自給の生活をしていた。5人の子供は自宅分娩。ベジタリアンで育ったとのこと。そこへ今回の震災。家族会議を開き数時間で福島県脱出を決めた。その後に福島第一原発が爆発した。
「よく決断されましたね」と問うと、「まずは命ですよ」と明快な答えが返ってきた。今の時代、脱原発の考えの人たちが増えてきたとはいえ、「でも経済はどうなる?」という人もたくさんいる。それなのに、手塩にかけた生活基盤を捨てて、数時間で最小限のものを持って知人をたずねてきた判断力、行動力は並大抵のものではない。
私はベジタリアンではないが、有機野菜を中心に仕入れた材料で作られた料理はとてもおいしい。職員に紹介をするつもりだが、たまには抜け出して昼食を食べに来ようか?
Tel 075-721-7779
11:30〜15:30(ラストオーダー14:30)
17:30〜22:00(ラストオーダー21:00)
定休日は日、月曜日。
開店前からファンがいて、昼食の配達もしているとのこと。店の中に、お得意さんになった方から依頼されたポスター「京都が止めよう若狭の原発 peace parade舞鶴」が貼ってあった。こんな経験をしたら脱原発は当たり前のことだろうが、不特定多数の人を対象に、これから始める店に貼るのは勇気がいる(だろう)。しかしそんなことを感じさせない自然な雰囲気であった。
成功してほしいお店だ。
院長日記
なでしこ勝利ーブログとツイッター
常々、ブログ=公開日記、ツイッター=公開井戸端会議だと思っている。
なでしこジャパンの勝利が伝えられるや、ツイッター上は興奮のるつぼ、その後しばらくして「なでしこ優勝の裏側で」 。「マイナー」スポーツの悲哀が語られ、一方で「スポーツ基金を仕分けした蓮舫が『なでしこ優勝すごい』と発言し大炎上! 国民『あんたに言われたくない』」とバッシングの嵐。
ブログでは、すでに7月初めには「平均年収240万円の女子」とでていた。また、すぐ興奮し一つになってしまう日本人への警告も。
つい反射的に書いてしまうのがツイッター、ブログは少し整理して、ということになるが、本来的にはツイッターは井戸端会議なので臨場感が大切。しばらくその場にいてやりとりができれば最高だ。でも私の場合は、帰宅時と起きがけに井戸端会議に参加することが多く、ちょっと遅れて参入し、旬を逃すことが多い。そんな人も多いのではないだろうか?
この間ツイッターに入れ込んでしまうことが多かったが、 少し距離を置いてブログを意識した方がいいのかもしれない。そんなことを考えさせる1日だった。
医療
「効率」について
効率的と非効率的。どっちを選ぶと問われたら、普通は効率的を選ぶだろう。しかし効率的とは何か?と正面から問われると、意外と答えにくいものだ。特に医療における効率は、その定義をはっきりさせないと結論が変わってくる。
「日本神経治療学会」の学会誌、今年のN.3「特集 脳卒中のトータルケア」に「急性期から回復期リハビリテーションへの連携」というタイトルで一文を載せた。「脳卒中リハビリテーション患者データバンク」、「リハビリテーション患者データベース」に登録された患者データを分析し、医療連携の効率をみたものである。
主な結果は、以下の通り。
1)脳卒中について、急性期病院と回復期リハ病棟を持つ病院のそれぞれの取り組みで、早期に転院し早く濃厚なリハビリを受けることは可能。
2)熊本は地域ぐるみで1)に取り組んでおり、結果として総入院日数は短縮できている。
3)しかし回復期リハ病棟での費用削減効果は認められない。
3)の理由は難しくない。熊本では1日当たりのリハビリをたくさん行うので、それだけ費用がかかるのである。リハビリの世界では、1日当たりの日常生活動作の改善を重視する。これを効率の指標にすると、熊本の効率はいいことになる。しかし費用に注目するとそうはならないのだ。
だれでも、入院期間は短い方がいいと思うだろう。早く体の障がいを改善させて早く帰りたい。そのために「連携」を重視することに異論はない(話を単純にするために、帰りたくても介護条件が整わず帰れない人のことは、いったん脇へおく)。しかし、それは必ずしも費用が安くすむということではない。
最近は、効率的=費用の削減と短絡的に考える傾向があるが、そんな単純なものではない。医療や介護の目的は、あくまでもその人を中心に置いて考えたいと思う。結果として、費用が少なくてすめばそれにこしたことはないが、最近の「税と社会保障の一体改革」のように、くれぐれも費用削減が目的にならないようにしたいものである。
院長日記
映画「100,000年後の安全」
話題の映画「100,000年後の安全」を見た。フィンランドで建設されつつある「オンカロ」。放射性廃棄物の永久地層処分場。放射性廃棄物が無害化されるまでの10万年間保持されるように設計された、地下都市のような巨大システム。2100年には施設は封鎖され、二度と開けられることはない。しかし10万年後、そこに暮らす人々に、危険性を確実に警告できる方法はあるだろうか。確実に伝えるべき、いや伝えない方が安全? そんな議論が延々と行われる、これは本当に映画だろうか? そんな気がしてくる。
10万年と言えば、ネアンデルタール人の時代らしい。2,000〜3,000年前のピラミッドについてさえ充分謎は解き明かされていないのに・・・。これ以上書くと、これから見る人に差しさわるので控えるが、原発に対する立場の如何に関わらず、安全な廃棄物の処理方法のない核の問題点がよく分かる。
何よりも、このフィンランドの地は、(私の記憶に間違いなければ)18億年は安定している所らしい。日本のような、火山や地震多発地帯は、そもそも処分場として考えられていない。
ウランは石油と同じく限りある資源であり、原発はあくまで一時的なエネルギー源のはず。エネルギーを浪費する生活は、このままでいいのだろうか? 原発をめぐってかわされてきている大切な議論に対する解答が、自然な形で浮かび上がる。
「原発にはこれ以上頼れないけれど、原発を止めて経済は大丈夫だろうか?」。多くの人が抱く考えだが、リアルに少し長い時間軸で見てみると答えは明らかだと思う。 地球の歴史とまでは言わないまでも、人類の歴史から見て現代のわれわれが生きているのはほんの一瞬。そのわれわれが人類そのものの生存を脅かしていいはずがない。
限りあるエネルギー資源から再生可能エネルギーへの道へ転換すること、生活のあり方を見直すこと。自然豊かな日本で、できないはずはないと信じる。
院長日記
「教育の職業的意義」
ひょんなことから少し前に、「教育の職業的意義」本田由紀東大教授著を読みました。副題は「若者、学校、社会をつなぐ」。
本書は「あらかじめの反論」で始まります。
①教育に職業的意義は不必要だ
②職業的意義のある教育は不可能だ
③職業的意義のある教育は不自然だ
④職業的意義のある教育は危険だ
⑤職業的意義のある教育は無効だ
どれも一理あるように思えます。これらを一つ一つ論駁し、その後の章でも日本の産業構造と教育の歴史を踏まえ、非正規雇用、ワーキングプアが増えている現在、あらためて教育の職業的意義が重要であることを説いていきます。一方で「キャリア教育」のあいまいさを批判し、もっと具体的な職業教育の必要性を訴えています。また、高校専門学科卒業生の方が普通科卒業生より、職業的意義ある教育を受け、非正規労働が少ないという重要な指摘をしています。
では、如何にして職業的意義ある教育ができるか? 残念ながらこの点についてはページ数が少なく、まだまだ一般論の域をでないように見えます。しかし職業教育について、「適応」と「抵抗」の両面を取り上げているのは重要だと思います。一定の技能を身につけることと環境を変えていくことは両方とも必要というわけです。
私たち医療機関に勤める者は、事務系を除いて職業的意義のある教育を受けて就職してきます。事務系でも(と書くとちょっと失礼な表現になりますが)、最近は医療秘書科や社会福祉士、介護支援専門員になれる学科を卒業し、就職後こうした仕事に就くことが多くなってきています。しかし医療・介護など社会保障分野で働く人はどんどん増えてきてはいるものの、社会全体から見るとまだ少数です。
本を読みながら思い出したのは、2004年に訪問したデンマークの話です。中学から高校へ進学するのは約5割で、さらにストレートに大学まで行くのは約1割。多くの若者は仕事に就き、勉強したいと思ったらその時に学び直す、と言われました。高校や大学卒業後も1〜2年間海外へ行ったり、いろいろと見聞を深めるのも当たり前のように行われていましたし、今でも変わっていないと思います。私の病院では、2年前にそんな高卒デンマークの若者を、付き合っている彼女と一緒に受け入れ懇談しました。
著者の本田由紀教授は最近のツイッターで、以下のようにつぶやいておられます。
社会や労働市場から排除される人々がますます増えていく中で、誰にも「居場所と出番」を作るためには、学力やら人間力やらで「垂直的多様化」(序列化)を進めていてはだめで、個々人の何かしらできることを尊重する、分野・専門性別の「水平的多様化」がどうしても必要。
時代は大きく変わってきています。私は急速に高齢化が進む日本では、医療や介護分野で働く人がもっと必要だと思います。同時に、農林漁業など人が生きていくために必要な分野で仕事をしていく人も増えてほしいと思います。こうしたことは職業教育で具体化することが必要です。一方で生活が成り立つ賃金や収入が保障されるようにしていくことは社会の責任です。そしてこの分野に進んだ若者が、自らの環境を変える「抵抗」する力をつけてほしいとも思います。








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