前の10件 1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11
2011年6月12日

院長日記

東日本大震災・原発事故 福祉と防災のまちづくりを考える

今日は伏見革新懇による講演、シンポジウムがありました。

講演は、京大経済学部岡田知弘教授の東日本大震災からみえてきたもの」。限られた時間でしたが、その後のシンポジウムでの発言を含め、印象に残ったのは、

災害は地域性と歴史性がある逃げるのが一番。江戸時代には原発事故は起こらない。原発で致命的な被害(風評被害も)。

災害は弱い環を襲第一次産業崩壊合併の周辺地域の悲惨医療もなくなる

都市部一極集中の問題

今回の震災被害(自然)の多くは津波によるが、産業廃棄物が水で流された問題などもある。

阪神大震災の時、何が行われたか? 神戸空港や湾岸高速道路を優先し住宅再建、商店街、中小企業の再建を後回しにした結果として、人間の復興が遅れ地域経済復興が遅れた。復興市場の9割が域外資本に流れた

創造的復興」が言われているが、これは構造改革路線TPP推進道州制を進めたい、民間企業へ農業漁業を開放したい、という考え。

若狭湾で原発事故が起こったら、琵琶湖の水が汚染され伏見の酒も被害を受ける。

伏見26万人は大きすぎる。地域自治組織設定が必要。まず地域を知ること

伏見の防災マップをよく見ること。地震避難所と水害避難所は違まちづくりがないと災害に対応できない

 

一つ一つの発言が、納得できるものでした。経済、と一言で言っても、結局それを成り立たせているのは地域共同体。それが壊れたのでは、地域に暮らす人たちは恩恵が受けられません。阪神大震災の「復興」がその反面教師。あらためて「地域循環型経済」が重要だと確信しました。

同時に、まちづくりの重要性を感じました。「京都府(市)地域防災計画」はありますが、マニュアルはあくまでマニュアル。それを実行あるものにするためには、近所の顔の見えるつながり、ささえ合いが大切。そう言うと、「自助」「互助」を強調する今の流れに迎合しているように思われるかもしれませんが、根底に公(おおやけ)の役割を明確にした「ご近所の底力」は重要だと思います。それがなければ、これからの超高齢社会は乗り切られません。

 

最後に、私のシンポジストとしてのレジメは以下の通りです。問題意識は、岡田教授と似ています。

<ひと・いのちを大切にする社会の復権を>

1.   3・11東日本大震災がしめすもの

明治維新、終戦とならぶ、時代を画期するできごと

2.   医師の目から見た被災地の現状

災害医療のあり方を問う被害状況

広範な地域、高齢化、医療過疎、原発事故・・・

医療よりも生活支援、介護、リハ(障がい)、心のケア、住宅、コミュニティーづくり、・・・

3.   日本・京都の医療状況

あいかわらず高すぎる国保料、国民健康保険の問題

 受診遅れで死亡者は、昨年全日本民医連調査で71名、京都で 2

介護保険法の本格論議開始「税と社会保障の一体改革」

4.   もし京都で災害が起こったら

「京都府(市)地域防災計画」はあるが、どう機能するか?

5.   人間らしい生活のできる環境づくりを

本当の意味での「地域包括ケア」(医療・介護・福祉・居住)

その基礎となる地域医療体制(診療所、地域病院、基幹病院)

マニュアル・箱物だけでない防災計画

第一次産業(農林漁業)の保全--都市と地方の共存

 

時代を画期するできごとを経験し、これから未曾有の高齢社会・人口減少社会に立ち向かうわけですから、医療・介護などの社会保障、経済政策、エネルギー政策などに対し、日本人全体に「覚悟」が求められていると思います。

2011年5月22日

院長日記

ピーチャリ&ピースランニング

2011年5月 7日

院長日記

原発に思う

地震、津波の被害とともに生じた福島原発事故は大きな社会問題になっている。地震、津波は自然災害だけど、原発事故は明らかな人災だからだ。


動画で見る東日本大震災と原発でも紹介した小出裕章助教の講演は、その後の事態の進展を踏まえた1ヶ月後の429日に行われたものがサイトで紹介されている。


ポイントは、

・原発のエネルギーの利用効率は33%のみ。残りは環境に捨てている。


被曝のリスクは低線量にいたるまで直線的に存在し続け、しきい値はない。(これに対し、100ミリシーベルト以下はがんが増えない、という意見もあり論争が続いている)


・原子力推進派が取った対策は、破局的事故は起こらないことにした。電力会社を破局的事故から免責した(地震や戦争などの場合には責任を負わなくてもいいことにし)、原発を都会につくらないことにした。


・今、福島で行っていることは、崩壊熱で生じるエネルギーを冷やすこと。電源が断たれ真水が利用できないので、海水を入れて冷やし続けている。海水を入れると原子炉は使えなくなるため東電は躊躇し、その間にも事故は広がってしまった。


・この事故対策の作業員は被爆している。もともと日本人は1年間に1ミリシーベルト以上の被爆をしてはいけないことになっているが、放射線業務従事者は20ミリシーベルトまで、異常事態では100ミリシーベルトまでは法律で定められていた。今回の事故で一気に250ミリシーベルトまで引き上げられた。


・「ただちに影響が出るレベルではない」しかし晩発性障害はでる。1ミリシーベルトはICRP(国際放射線防護委員会)によれば、1万のうち 1人ががんで死ぬことを 1年ごとに容認する基準。子どもはその5倍。これを今回国は20ミリシーベルトへ引き上げたのだから、通常時に一般の人たちに許される危険度の 100倍もの危険を子どもたちに押し付けることになる。なおこの基準の決定プロセスの曖昧さも問題になっており、1985年ノーベル平和賞を受賞したPSW(社会的責任のための医師の会)は厳しく批判している。また小出氏が信頼するJ.W.Gofman氏の評価ではICRP計算4倍の障害がでるという。


世界の原子力発電所はほとんど例外なく地震地帯を避けて建設されているが、世界一の地震国日本に、今現在、 54基の原子力発電所が動いている。


昨日菅首相は浜岡原発の停止を要請した。これは英断だと思う。しかし他の原発が安全だという保障はない。特に京都に隣接する福井県若狭湾には14基の原発がある(高浜、大飯、美浜、敦賀、もんじゅ)。関西電力はその電力の48%を原発でまかなっている舞鶴市は20km圏内にほとんどの人が暮らしており事故への不安は大きい三方・花折断層の活動はこの若狭湾の原発や京都市の運命を左右する。


原発事故への対応は、安斎科学・平和事務所所長の安斎育郎氏によれば、「隠すな、ソつくな、意図的に過小評価するな」3原則を厳しく守り、最悪に備えて、最善を尽くすこと。しかしSPEEDIのデータは隠され、「ただちに影響が出るレベルではない」とウソをつき続け、晩発性障害への危険性は過小評価されてきた。とても最悪に備えて、最善を尽くしているとは思えない。この立場に立てば、現時点ではあらゆる原発の安全性は確保されているとは言えず、いったん停止せざるをえないのではないか? 少なくとも覚悟を持って原発に頼らない道に向けて、産業界も我々の日常生活も備えていかなければならない。


ソフトバンクの孫正義氏は、東日本大震災被災者支援のためポケットマネー100億円を寄付し、10億円で自然エネルギー財団を設立しエネルギー政策転換を図ることを目指している。それは決して幻想ではなく、デンマークは2050年までに化石燃料からの完全な脱却を目指す「エネルギー戦略2050を発表した。自然エネルギーの分野で日本の技術力を生かしていくことが、今後の日本産業活性化の道だと思う。


ドイツをはじめEUでは脱原発の方向だが、中国やインドなどBRICSは原発推進と、世界的に見ればまだまだ紆余曲折が予想される。それだけに今回の事故を受けて、日本の立場が問われている。
日本の方向を決めるのは日本人の意識。覚悟を持とう。自治体も大阪府橋下知事神奈川県黒岩知事は脱原発を目指すことを宣言している。橋下知事に対し、関西経済同友会の大竹伸一代表幹事(NTT西日本社長)は「代替エネルギーの研究、実用化を急ぐべきとのメッセージで、世の中一般からずれていない。まともな考え方」評価をしている。


動画によれば関西広域連合では時期尚早となったが、滋賀県嘉田知事は賛成した。京都府山田知事が何を発言したかの言及はない。京都府知事としての原発そのものに対する考えや、知事会長となった知事会にも動きはない。本来ならこういうところでイニシアチブを発揮してほしいものだ。それでこそ、地方から世の中のあり方を変えていける。

2011年5月 1日

院長日記

足立美術館、水木しげるロード、法然・・・

連休前半の429日〜30日。大学へ進学した長男の様子を見に、京都に残る家族3人(私、妻、次男)でその周辺の小旅行をしてきました。


安来市にある足立美術館はその庭園のすばらしさに驚きました。日本庭園ですが、京都の寺でよく行われる借景が見事です。8年連続日本一に選ばれたというのもうなずけます。


絵画は、美術館を作った足立全康氏が愛した横山大観が中心ですが、その絵を見たのは美術の教科書以来でした。朦朧体(もうろうたい:水墨画の輪郭を描かない技法を色彩画に使用した)という新しい画風を創り出した、と説明があり当時は革新的な技法だったわけです。一方で戦時中は「神国日本」など戦意高揚の作品も描いています。芸術的にはすばらしく革新性もあるのですが、この点は残念だと思いました。


そうかと思うと足立美術館には、京都を代表する料理人であり陶芸家でもあった北大路魯山人の部屋もあります。履歴をみると4回結婚し離婚。気難しい人だったようですが、すごいと思ったのは「あいつはずるい奴だとか、いやしい奴だとかいわれないだけありがたいと思っている」とい言葉。人間国宝を辞退。反骨の人。


境港市は「ゲゲゲの女房」でブレイクした水木しげるロードが印象的でした。水木しげる記念館のある商店街活性化策として139体の妖怪ブロンズ像が並んでいます。これが成り立つのは、水木しげる氏が版権を放棄していることです。おかげで費用がかからず、バス、船などあらゆるところにゲゲゲがあります。今なら間違いなく落ちこぼれであった氏が漫画で成功し、戦争で左上肢を失った実体験から戦争に断固反対し、故郷のために版権放棄。大変な生き様だと思います。


足立美術館で竹内栖鳳をはじめ京都の日本画が展示されていたこと、日本庭園、北大路魯山人、・・・京都を見直そうと思い、今日51日は京都国立博物館で「法然」の特別展示会を見てきました。南無阿弥陀仏と念仏を称えた人はどんな身分の者であれ極楽浄土に生まれること(往生)ができるという教えは、身分制の厳しい当時としては異端であり、75歳で土佐に流されることになりましたが、多くの人たちの支持を得ました。信仰の是非とは別に、時代の制約を超えた考え方にあらためて感じ入りました。


駆け足でいろいろなところを訪れ、芸術に触れ、人の生き方を知り、・・・なかなか充実していました。少したくましくなった長男の今後の生き方はどうなるか、その前に自分自身の生き方も考えさせられる時間でした。

2011年4月 9日

院長日記

坂総合病院・クリニック職員一同のアピール

いくつかの場で紹介した「坂総合病院・クリニック職員一同のアピール」。災害拠点病院なので、日々押し寄せる救急・外来・入院患者対応に追われ、全職員集会を開くことができたのは、震災から3週間後の3月31日。このアピールは、現地で頑張った職員の思いを何よりも表しているので、以下に載せます。

 

2011311日午後247分 M9.0も大地震・津波・原発事故

想像を絶する大災害の中 わたしたちは多くの命に向かい合った。

 

患者さんは 利用者さんは 立っていられないほどの揺れの後に

気遣ったことは わが身よりそれぞれの職場のことだった

 

雪と寒風にさらされ 氷点下の中 何時間玄関前にたったのだろう

いったい何人に聴診器をあてただろう

何枚のカルテを書いただろう

1階から10階まで何度 階段を往復したのだろう

いったい何個のおにぎりを握ったのだろう

支援物資の箱をいくつ仕分けしたのだろう

家族とわが家を案じながら 何日も病院に泊まり続けた仲間がいる

徒歩で 自転車で さらに避難所から通勤している仲間もいる

 

わたしたちはどれほど涙を流しただろう

助けられなかった命に

犠牲となった仲間に 愛する者・住み慣れた家を失った仲間に

北海道から沖縄まで 追いつけないほどの全国の民医連の仲間からの支援に

余震の中で産声をあげた小さな命に

避難所となった小学校の卒業式に

ひげが伸び放題の顔が お化粧をしていない顔が こんなにも美しいことに

「お疲れさま」「よろしくお願いします」と声をかけあうたびに

 

原発をはじめあらゆる復旧活動に従事している人に

流通・販売 教育・保育・福祉 あらゆる職業の人に

すべてを失い 愛する物を亡くし 悲しみと不安の中にありながら

不自由な避難生活のなかでも毅然としている人たちに

はるか遠くの地にあっておやつを我慢して募金する幼子から

手を合わせて復興を祈るお年寄りに

エールを送ってくれている日本中の人たち全てに対して

わたしたちは 誇りを感じている

 

わたしたちが いま なすべきことは それは

目の前の命に向き合うこと

つぶされそうな心を 破裂しそうな心を ともに分かち合うこと

夜明けがいつか分からないが「明けない夜はない」ことを信じること

そして 前に進もう

犠牲となった多くの命を決して忘れず 生かされていることに感謝し

心を高く挙げて しっかりと歩んでいこう

 

2011331日 坂総合病院・クリニック職員一同

2011年4月 2日

院長日記

動画で見る東日本大震災と原発

東日本大震災について、いろいろ報道されていますが、民医連の取り組み状況は動画が分かりやすいです。下記サイトから見ることができます。私のまとめ、感想を書いていますが、下記の順で見ていただければ臨場感を持って、ご理解いただけるかと思います。

最後に原発について、京大小出裕章助教の講演、資料を載せました。これを見て読むと原発に頼る危険が実感できます。京都府医師会のメーリングリストでも、「想定外という言葉は嫌い」という書き込みがありました。今回の天災(地震と津波)と人災(原発事故)を通じて、多くの人の考え方が変わってきているようです。

http://www.min-iren.gr.jp/html/menu8/index.html


東日本大震災 被災地支援の記録 2011314日〜16

震災数日後の地域の状況、坂総合病院を中心とする取り組み。

 

東日本大震災被災地支援の記録2

南相馬市の医療状況。南相馬市立総合病院は320日に入院患者は0に。南相馬市高橋医師会長は帰ってきて診療へ。消防団やボランティアが行方不明者の捜索活動している。20km圏内では全く捜索ができていない。被爆で葬式もできない。農業の展望がなくなり自殺した人もいる。

 

藤末会長の訴え(317日)

阪神大震災との違いは、広範囲、長期、被爆の問題があること。すべての県で医療・生活支援、復興の運動に取り組む。超高齢社会に対応する支援をする。多くの団体と連携して取り組む。

 

藤末会長の訴え(326日)

トイレ掃除を思い立った医者がいた。私のことかな?  超高齢社会の被災地支援のあり方は、介護とリハビリが大切。震災関連死を起こさせない。

 

被ばく問題委員会・前委員長 門間 元医師に聞く原発被害

急性被害はないが、慢性被害はどうなのか?

内部被曝の今後は難しい。大切なのはできるだけ被爆させないこと。

 

今原発被災地の避難者に求められる支援は何か?

20km以内の人たちの外への待避、30km以内の人たちの屋内待避は理にかなっている。しかし現状のままでいいかどうかは未知。

 

「隠される原子力」

http://www.youtube.com/watch?v=4gFxKiOGSDk

小出裕章助教の講演。1時間46分の長さだが、9万人を超える人が見ている。キーワードは以下の通り。チェルノブイリの教訓を活かせなかった=原発を止めさせられなかった。チェルノブイリ事故では8,100km離れた日本でも1週間でセシウムが到達した。生きものと放射線は相いれない。「直ちに影響が出るものではない」=急性障害はでない=晩発性障害は生じうる。原発で電力会社は儲かる。絶対壊れないはずの防壁が壊れた。せめてこれ以上は作るな!

 

「原子力安全研究グループ」のサイト

http://www.rri.kyoto-u.ac.jp/NSRG/index.html

原発の問題点について考えさせられる資料の宝庫。

2011年3月28日

院長日記

震災支援に行ってきました

321日〜27日、東北地方太平洋沖地震の支援へ行ってきました。宮城県にある坂総合病院は、民医連の病院であり、塩釜市、多賀城市の基幹病院であり災害拠点病院でもあります。全日本民医連から医師をはじめ看護師、薬剤師など325日時点で1,000人を超える支援を行っています。私もその1人として参加しました。



看護師3人、事務1人と一緒に車で13時間かけて現地へ到着。確保した寝床は本来デイケア室の平行棒の下。1週間分の食料と寝袋を携帯し、現地で役立つかもしれない使い捨てカイロ、ウエットティッシュを大量に持参しましたが、結果的には震災直後の急性期は脱し、亜急性期から生活期への移行期だと実感しました。


塩釜港は車が転倒しヘドロの臭いが鼻につき、東の七ヶ浜は壊滅的でしたが、少し高い土地に位置する坂総合病院は物理的にはほとんど被害はありませんでした。しかし地域住民、開業医、病院の被害は大きく、自家発電、地下水でライフラインが確保できている坂総合病院に患者が集中しました。一方で職員や家族も被災しており、混乱の中で診療していたわけで、まずはここへ民医連の支援を集中しました。


私は、初日の午前中避難所で診察、夕方から翌朝まで当直、次の日の午後また避難所というハードスケジュールでしたが、その後は避難所まわりが続き、地域の状況をつかむことができました。私は4日間同じ避難所(体育館)へ行きましたが、その状況は日々変わり、日中家の片付けに行く人も多く、時間帯によっている人が違います。総じて血圧は高くなっており、慣れないトイレで便秘になる方が多く、風邪、胃腸炎が散発していました。


避難所で気になったことがいくつかありました。1つは感染対策。換気が不十分で風邪がうつることです。水道が復旧していないため手洗いができず、ノロウイルスによると思われる胃腸炎が見られました。居室である体育館とトイレを土足でそのまま行き来していることもノロの原因の1つでした。責任者と相談し、換気回数を増やし、次善の策としてウエットティッシュでよく手を拭いてからアルコール手指消毒剤を使用するよう指導し、トイレ用のスリッパを配置してもらいました。


2つ目は、精神疾患や認知症の人たちです。慣れない生活にとまどい不安を訴える精神疾患を持つ患者が結構いました。普通に暮らしていた認知症の人がせん妄状態になり、戸惑う家族がいました。これから高齢化が進むため、今後同じことが起こればさらに問題になると感じました。精神疾患は佐賀県から「心のケアチーム」が来ており、助かりました。せん妄には、薬よりも日中の散歩など生活リズムをつけることを勧めました。


3つ目は、体の不自由な人たちです。普段は車いすでトイレ使用している人がおむつ対応になっている例がありました。体育館で車いすトイレから遠いところが居住スペースになっていることが問題のようなので、管理者にスペースの変更をお願いしました。スポーツトレーナーが同行した時は、エコノミークラス症候群予防のための体操をしてもらいました。非常に好評で多くの人が体を動かしておられました。理学療法士が同行した日は、脳梗塞後遺症患者などへ個別のリハビリを依頼したり、変形性膝関節症患者の大腿四頭筋訓練をしてもらいました。

要は、気分転換も兼ねた体操は有効であり、積極的に体を動かすことを奨励する、肢体不自由者に適切な生活アドバイスを行い可能なら個別訓練を行うことが大切です。


最後に医療機関へ行く手段の確保です。電車が復旧しておらず、ガソリン不足、津波による車の喪失などでかかりつけ医に行けない人がたくさんいました。


当初は医療相談だけだったのですが、支援チームの人数が増えるにつれて、やることを増やしました。足浴、爪切り、シャンプー、清拭、ビニール浴・・・。ほとんどの人が被災後入浴していないので、皮膚は荒れ、かぶれなどが目立ちました。特に赤ちゃんはおむつかぶれ、脂漏性湿疹が見られました。看護師、小児科医チームで生後2ヶ月の赤ちゃんの沐浴もしました。医療は確かに大切なのですが、すでに現地でもっと求められていたのは生活支援、普通の生活ができることでした。


看護師が清潔確保のために忙しくしている間、私たち医師は事務職員と一緒にトイレ掃除(消毒)を行い、感染予防に努めました。医学生は、シャボン玉で子どもたちと遊んで楽しませていました。地域の絆が強く、地域ぐるみで復旧活動に取り組むところもありましたが、倒れた重い家財道具の片付けが最も大切な支援活動である地域もあったわけです。われわれは、医療人である前に地域を支える住民であることが求められるわけです。


医療支援体制で阪神淡路大震災との違いは、災害拠点病院の創設、DMAT(災害派遣医療チーム)JMAT(日本医師会災害医療チーム)、心のケアチームをはじめいろいろ整備がされたことです。しかし連携の仕方はこれからの課題だと感じました。災害直後のDMATはともかく、住民にとっては身近な医療機関からの援助を求めており、医療機関名や地区医師会、県医師会を名乗って、一人一人の被災者に声をかけながら困り事を聞く姿勢が必要だと思います。「坂病院から来ました」と声をかけたらみなさんホッとした表情になりました。時間帯も問題で、あるチームが入った後にも関わらず、30数件の相談を受けた日もありました。理想を言えば、医療者が避難所に泊まり込むことも必要なのでしょう。


民医連はこれまでは行ける者が支援に行き、人数にあわせて日替わりで支援体制を決めるというやり方でやってきましたが、これからは坂総合病院自身が必要な支援要請を行い、それに我々が応えるという体制になるようです。さらに同じ宮城県にある民医連の長町病院松島医療生協など他の地域への支援も長期的に続けていきます。東北全体を視野に入れた支援活動を行っていきます。これまで主に院内の仕事に没頭せざるをえなかった現地の職員の頑張りに敬意を表しつつ、地域全体を視野に入れた復興にともに力を注ぎたいと思います。


私はこの1週間、入浴こそできませんでしたが、支援者への心のこもった食事があり、結構暖かい寝場所だったため熟睡できました。使い捨てカイロはそれほど必要でなかったようで、重い荷物を抱えて往復することになりました。


坂総合病院は災害拠点病院のため、被災直後から病院で医師会、薬剤師会、行政などが集まり対策会議を持ってきました。これからは保健所が避難所の医療体制のコントロールをしていくということです。ひるがえって京都で大災害が起きたら保健所は機能するでしょか? 京都市を例にとると保健所は1つ。あとは医師がいなくてもいい保健センターです。このままでいいかどうかの議論が必要です。

医療の中心は京都の災害拠点病院医師会が担うことになるでしょうが、地域包括支援センター居宅介護支援事業所などの役割も重要になります。公(おおやけ)の役割を明確にしたえで、本当の意味での地域包括ケアが求められると思います。


あわせて、就職難の時代、多くの人を被災地復旧の仕事へつなげないものか、とも思います。

ともあれ、いろいろと考えさせられた1週間でした。気がついたらこの1週間、80回もツイッターでつぶやいていました。興味のある方は、下記へアクセスしてみて下さい。

http://twitter.com/#!/yusukemonkyoto






2011年3月13日

院長日記

東北地方太平洋沖地震

一昨日未曾有の地震が起きた。病棟回診をしているときに、たまたま津波の映像をテレビで見てビックリした。2日たち、直後には分からなかった被害の状況が次第に明らかになってきたが、正確な状況を掌握するにはまだまだ時間がかかるだろう。

阪神大震災とは違い、医療についてDMATによる初動の支援はあるものの、本格的な支援が求められるのはこれからだろう。生活、地域の復興を考えると、もっと時間がかかる。

全日本民医連は、宮城県塩釜市にある坂総合病院へ医師、看護師の支援を始めた。京都・滋賀民医連からも、2人の医師、2人の看護師、1人の事務が支援に向かった。病院へたくさんの患者が運ばれ、大変な状況。行政からは、塩釜市の避難所13カ所、2,000人のフォローを要請されてもいる。想像以上に大変な状況なので、継続した支援が必要であり、週明けの明日、支援を継続することについて職員の意思統一を行う予定だ。何しろ医師不足・看護師不足のおり、1人の医師・看護師を送るのも大変だからだ。

京都府医師会は、3月12日に「東北地方太平洋沖地震」対策本部を立ち上げ、「検視医」、「亜急性期・慢性期診療医」の募集を始めた。スピーディーな、極めて的確な提起だと思う。私たち民医連は、まずは地域の拠点になっている仲間の病院を支援することから始めるが、可能な限り他の医療団体と一緒になって、求められる支援を行いたいと思う。

考えてみれば、阪神大震災の時は各病院、各診療所は、それぞれ自己完結的に医療を行っていた時代だった。その後時代は変わり、「病院完結型」から「地域完結型」へ。すなわち、地域の中で適切に役割分担をして、地域全体のレベルアップをはかる時代になってきている。

阪神大震災の時は、民医連として東神戸病院神戸協同病院へ支援を集中し、不眠不休で多くの命を救った。私もそこに参加したが、今度の支援はさらにグレードアップして、「地域完結型」にふさわしく、多くの他団体と一緒にやっていくことが求められているのかもしれない。

もっとも、支援は現地へ行くスタッフだけが行っているわけではない。送り出した職場を守る者も、少なくなった人数で現場を切り盛りしているわけで、間接的に被災地支援を行っているわけだ。

復興には、医療だけでなくさまざまな分野の支援が必要だが、あらゆる分野で現地、支援者、支援者を送り出したところのそれぞれの頑張り、文字通りオールジャパンでこの困難を乗り越えたいものだと思う。

2011年2月27日

院長日記

医療コンフリクト・マネジメントセミナーへ行ってきました

225日~27日、日本医療機能評価機構が行う「医療コンフリクト・マネジメントセミナー(導入・基礎連続版)」へ行ってきました。日曜日の夕方まで3日間、会場の大阪まで通い缶詰になり、講義、ロールプレイ(演習)の繰り返しでした。

「コンフリクト・マネジメント」って何? と思われるでしょう。単純に訳すと「争いごとの対処」。医療者と患者・家族の間で生じるトラブルを解決することです。それを医療メディエーションという手法を使って行うのです。

じゃあ「メディエーション」って何? となります。日本医療メディエーター協会によれば、「メディエーターが、当事者間の対話を促進することを通して、認知の変容を促し、納得のいく創造的な合意と関係再構築を支援するしくみ」とあります。メディエーターは「患者側と医療側の対話の橋渡しをする人」で、「あくまでも、当事者自身による自主的な合意形成を促進する役割で、「調停」のように「調停案」を提示したり、説得や評価をしたりしません。英米では、広く普及している、当事者のための対話と協調促進のモデル」とあります。

メディエーターは病院や診療所の職員です。職員が第三者になれるの? 当然の疑問です。だから研修が必要なのです。しかし3日間徹底的に講義と演習を繰り返し、なれるのだということを頭では理解できました。しかし実際にやろうとすると大変です。すぐに解決策を提案しようとしたり、医療者側に立っている自分に気がつくのです。日頃意識して実践し、「継続編」「応用編」「トレーナー」などのさらに高いレベルのセミナーへ参加することもあるわけです。

もっとも院長である私は、実際の場面ではメディエーターになりえません。何かトラブルが生じたときには病院側の人間として対応しなければならないからです。

ではなぜ私が参加したのか? トップの立場の者がメディエーションの重要性を理解しなければ、そこでメディエーションは根付かないからです。メディエーションは、単にトラブル処理のためにあるのではありません。導入したところでは、「日常診療での患者対応の質」「患者に向き合う姿勢」「医療安全の向上」「職員間のコミュニケーション」など、さまざまな効果があるようです。

全日本民医連もこの研修に取り組んでおり、私の所属する京都府医師会も取り組みを開始しました。愛媛県医師会では50床(ベッド)に1人のメディエーター養成を目指しているようです。

私の病院でも導入に向けてしっかり議論を開始したいと思います。

この3日間、この件で22ツイッター つぶやいていました。

2011年2月19日

医療

救命救急センターと丹後の医療を考える懇談会

「救命救急センターと丹後の医療を考える懇談会」本日与謝野町で行われました。私は、問題提起、助言が求められました。120人くらいが参加し活発な意見交換をしました。

京丹後市の吉田さゆみさんは、但馬救命救急センター(兵庫県豊岡市)のドクターヘリの出動件数の約22%が府内からであることを示し、「府北部に救命救急センターの設置は待ったなし。 声をあげ、運動したことで、京都府もセンターの検討を始めると府議会で表明した。実現へ運動を広めよう」と呼びかけました。

私はちょうど1年前にこの会場で話した、日本の医療の事実(少ない医師数・医療費にもかかわらずWHOによれば世界一と評価されている)、京都の医療の事実(府としては日本で最も人口あたり医師数が多いが、京都市・乙訓医療圏以外はすべて日本平均を下まわる)、北部医療の問題点(府立医大頼みで開店休業の府医療対策本部、医師数・勤務医減、与謝の海病院や舞鶴4病院の役割、医療圏・府県を超えた医療連携の欠如など)を前振りに話しました。

最も話したかったことは、地域医療は、行政、医療者、住民の共同作業でつくるものであり、当事者としての地域住民が重要であるということでした。

意見交換で、近隣の 病院への苦情をいっぱい聞きましたが、実はそれを変えていくのは住民の声。

準備の過程で調べた但馬救命救急センタードクターヘリの実践はすごいです。ブログを見ると、写真や動画が満載で、今やれることをやりながら、同時に宣伝をして若い医師を集めようとしています。この病院のこの部門は伸びる! そのことを確信させる内容です。

救命救急センター作りが今回の懇談会の重要なテーマ。丹後、舞鶴、福知山など北部では、医療を完結できない救命体制の問題を抱えています。運動の進め方は、それぞれの地域で起こっている救急体制の問題点を出し、救える命が救える体制を要求していくことが大切だと思います。

とは言え、救命救急センターをたくさん作れるわけではありません。それを補う仕組みが必要です。ドクターヘリ、ドクターカー、医療圏、府県を越えた連携は有効なはず。京都はそれが極めて不十分です。

人口当たり最も医師数の多い京都でできないことは、どこでもできません。京都府が国民健康保険一元化を言い出したわけですが、本気で保険料を統一するのなら、医療の地域格差もなくさないといけないはずです。

また、救急救急センター作りとともに、各病院で何ができ何ができないか情報公開を行い、診療所、介護事業所などを含めた連携を進めることが大切です。

あらためて、地域医療をつくるのは、行政、医療者、住民。特に当事者としての住民の果たす役割は大きいです。しかしそれを引き出すために行政は金を出し、医療者の力を結集させる政策能力を高めなければなりません。医療者と一緒になって、府内のあらゆる地域に必要な医療体制をつくることが、京都府には求められているのです。

ところで意見交換の中で、癌の放射線治療患者の話がでました。毎日通えと言われても、数10km離れた福知山までは大変。生活もかかっています。入院できないなら、病院近くに宿泊できる保障が有効かもしれません。住民要求と行政効率、医療者の見方をあわせると、解決策がきっと見えてくる、と思います。

また政治革新と医療の関係も質問が出ました。私は医療と政治は制度という点で密接に関係していると思いますが、日本医師会長と全日本民医連会長が「国民皆保険を守る」「社会保障を充実させる」など根幹に関わるところで一致しているわけなので、立場を超えて大いに一緒に運動を進めるべきではないかと答えました。

「病院と住民が率直に話し合いできるようにしたい」主催者のまとめの一部です。そんな動きがきっと地域医療をよくします。私個人としては病院内の仕事で大変な中でしたが、来てよかったと実感しました。

前の10件 1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11